(2)従業員の退職後の守秘義務

1)従業員の退職後の守秘義務

 企業に在職していた従業員は、職務上知り得た技術的な企業機密につき守秘義務があるのであろうか。例えば、退職後に別の会社で同一のプログラムを作成したような場合である。コンピュータプログラムに著作権適格性が認められたことから、この問題は法人著作権の侵害の問題としてとらえることができる。

 しかし、特殊なプログラム開発のプロジェクトチームに参画していた従業員が、そのチームに参画することにより知り得た技術的知識をもとに、退職後に別の会社でそのプログラムを完成させたという場合は、著作権法の問題ではなく、まさに守秘義務の問題となってくる。
 
 プログラムの開発はきわめて個人的な色彩が強い仕事である。チームで働いていたとしても、その開発の成否がある1人のひらめき、センスといったことに負うことも多い。このように考えてくると、なんらの取り決めがないとしても、当然、特殊な業務に関与していた者は守秘義務を負うという意見も出てくるであろう。この守秘義務の問題は、それを実質的に担保するための競業禁止義務としてとらえることができる。

 しかし、守秘義務を負わせることは結果として経済的弱者である被用者の職業選択の自由を制限することになってしまい、社会的公平の観点からいって軽々しく認められるものではない、といってもよい。すなわち、在職中の従業員は雇用契約から当然生じる守秘義務を負うことになるが、原則としてこの守秘義務は雇用契約の終了とともに消滅してしまう。

 この点について、在職中の地位や従事した業務によっては、契約終了後も信義則上の義務として守秘義務を認めるべきである、とする説もある。

2)競業避止義務をめぐるトラブル事例

 以下、裁判例を通して競業避止義務及び競業避止特約についてみていく。

①設計課長に競業避止義務がないとされた例

 甲は、A乳機製造会社から新製品の開発のため、職務上知り得た秘密、すなわちA社の製法、研究課題を開示しないなどの条件で技術部設計課長に迎えられたが、開発の中途においてA社を退職し、その後B社において同様の開発業務に従事した。そこで、A社は甲に対して新製品開発のために支払った費用及び競業避止義務違反などによる損害の賠償を求めた。

 この事件では、「上記の条件は在職中に遵守すべき義務を注意的に述べたにとどまり、退職後も守秘義務を負わせる特約をしたものとは認め難い」として、競業禁止特約の存在を否定して競業避止義務はないとした。

 この事件は、退職時に明確な競業禁止契約を締結していないが、退職後の競業避止義務について次のように判示している。「競業避止義務についてであるが、一般に労働者が雇傭関係継続中、右義務を負担していることは当然であるが、その間に習得した業務上の知識、経験、技術は労働者の人格的財産の一部をなすもので、これを退職後に各人がどのように生かし利用していくかは各人の自由に属し、特約もなしにこの自由を拘束することはできないと解するのが相当である」(昭和43年3月27日金沢地判 時報522号83号)              

②退職後の従業員に守秘義務を負わせる特例と有効性

 従業員に退職後も守秘義務、すなわち機密保持義務を負わせるには、原則として特例が必要である。この従業員の退職後における秘密保持義務=競業避止義務についての特約も一定の条件のもとで有効とされている(昭和44年10月7日最高判 時報575号35頁)。

 そもそも退職後もその従業員に機密保持義務を負わせることは、経済的弱者である被用者から生計の道を奪い、職業選択の自由を奪うことになることから、そのような特例の有効性について議論があった。

 後掲した判決では、「その従業員が業務を通じて修得したものが、他の営業者のもとに
おいても同様に修得できる一般的知識、技能である場合には退職後にまで競業避止義務を負わせることはできないが、その使用者だけが有する特殊な知識、技能は、使用者の客観的財産であり、企業の重要な財産を構成するものであり、このような技術の中枢部にタッチする職員に秘密保持義務を負わせ、これを担保するために退職後における一定期間、競業避止義務を負わせることは適法・有効と解するのを相当する」旨判示している。

 次の事例は、研究開発に従事していた従業員の退職後の競業行為が禁止された事例である。

 甲(実際は2名)は、金属鋳造の際使用する各種冶金用副資材の製造販売を業とするA社の研究所に所属していたが、同社を退社し、その直後にA社と競業関係にある新たに設立されたB社の取締役に就任した。

 甲とA社との間には、甲の在職中に退職後2年間の競業禁止に関する特約を締結していた。そこでA社は、この特約に基づき競業行為の差止めの仮処分を求めた。

 判決は、甲が関与していた業務がA社独自の技術的機密にあたると認め、仮処分を認容した。

 「一般に雇用関係において、その就職に際して、或いは在職中において、本件特約のような退職後における競業避止義務をも含むような特約が結ばれることはしばしば行われることであるが、被用者に対し、退職後特定の職業につくことを禁ずるいわゆる競業禁止の特約は経済的弱者である被用者から生計の道を奪い、その生存をおびやかす虞れがあると同時に被用者の職業選択の自由を制限し、又競争の制限による不当な独占の発生する虞れ等を伴うからその特約締結につき合理的な事情の存在することの立証がないときは一応営業の自由に対する干渉とみなされ、特にその特約が単に競争者の排除、抑制を目的とする場合には、公序良俗に反し無効であることは明らかである。

 従って被用者は、雇用中、様々の経験により、多くの知識・技能を修得することがあるが、これらが当時の同一業種の営業において普遍的なものである場合、即ち、被用者が他の使用者のもとにあっても同様に修得できるであろう一般的知識・技能を獲得したに止まる場合には、それは被用者の一種の主観的財産を構成するのであってそのような知識・技能は被用者は雇用終了後大いに活用して差しつかえなく、これを禁ずることは単純な競争の制限に他ならず被用者の職業選択の自由を不当に制限するものであって公序良俗に反するというべきである。

 しかしながら、当然使用者のみが有する特殊な知識は使用者にとり一種の客観的財産であり、他人に譲渡しうる価値を有する点において右に述べた一般的知識・技能と全く性質を異にするものであり、これらはいわゆる営業上の秘密として営業の自由とならんで共に保護されるべき法益というべく、そのため一定の範囲において被用者の競業を禁ずる特約を結ぶことは十分合理性があると言うべきである。

 このような営業上の秘密としては、顧客等の人的関係、製品製造上の材料、製法等に関する技術的秘密等が考えられ、企業の性質により重点の置かれ方が異なるが、現代社会のように高度に工業化した社会においては、技術的秘密の財産的価値は極めて大きいものがあり従って保護の必要性も大きいと考えられる。

 即ち技術進歩、改革は一つには特許権・実用新案権等の無体財産権として保護されるが、これらの権利の周辺には特許権等の権利の内容にまではとり入れられない様々の技術的秘密-ノウハウなど-が存在し、現実には両者相俟って活用されているというのが実情である。従ってこのような技術的秘密の開発・改良にも企業はおおきな努力を払っているものであって、右のような技術的秘密は当該企業の重要な財産を構成するのである。

 従って右のような技術的秘密を保護するために当該使用者の営業の秘密を知り得る立場にある者、たとえば技術の中枢部にタッチする職員に秘密保持義務を負わせ、又右秘密保持義務を実質的に担保するために退職後における一定期間、競業避止義務を負わせることは適法・有効と解するのを相当とする」

 

 

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